朝から雨だったにもかかわらず、弓道場は
「平成最後の射に来た」
とかなんとか言う人で、けっこうな盛況でありました。
ふと、昭和最後の日は何をやってたかなあ・・
と30年前を思い返してみたら・・・私は高校一年生で、その日も弓道場にいたんですよね。
「歌舞音曲を慎めという政府のお達しがあったから、今日は部活停止になるらしいよ」、といううわさに、
「弓道は歌舞音曲じゃないじゃん」
的な文句を垂れながら待っていると、結局、その日は休校となり、部活も停止になった。
不要の私語は慎んで速やかに帰るように
と神妙な顔で部長に言い渡されて、さくっと帰った思い出。
・・ということは、昭和最後の射はやってなかったんだな。(弓道場に行っただけ。)
平成最初の日は全く記憶にないけど、きっと学校の弓道場で弓引いてたんだろう。
とりあえず、平成の最初と最後は弓道でコンプリートした。(だから何。)
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さて、昭和最後の日は、とにかく辛気臭かったなあ、と改めて思う。
今日のこのお祭り騒ぎとは大違い。
そして、「歌舞音曲禁止だっけ?」と笑いながら(不謹慎)、ピアノを弾いたような気がする。
べつに盾突こうってわけじゃなく、毎日の習慣をわざわざ変えるほどのことと思ってなかった。
・・っていうか、興味がなかった。
でも、私の知る昭和というのはそんな時代というか・・
子供は、多少ハメを外そうが、悪さしようが、今みたいには非難されなかった気がする。
居酒屋で打ち上げしても、制服さえ着て行かなきゃOKだったからな・・
(私の行ってた高校がヤバかっただけかもしれないけど。)
当時よく弾いていた曲は、ベートーヴェン「悲愴」
あの2楽章は、当時は、中年のおっさんが帰らぬ昔を回顧しながらグラスを傾けるような曲だと漠然と思って弾いていて、正直よくわからないけど、なんかカッコいい曲、だと思ってた。
でも、今は・・
たしかに懐かしさを感じる曲ではあるけど、(ビリー・ジョエルも歌ったしね!)、あんまり回顧的な曲とは思わなくなった。
人生に「100パーセント」はないけど、自分にはまだできることがある。
という、すごく前向きな曲だと思うようになった。
そういうふうに思えるだけの経験ができたのが、私にとっての平成の30年間かな、と思う。
さて、令和最初の日も、ピアノを弾いて、弓道場に行くか。(笑)