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Channel: 映画・海外ドラマ 覚え書き
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オリンピックコンサート タンホイザー序曲のこと

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この番組、前半のチャイコフスキー×平昌日本選手MADが「うーん」っていう感じで放置してたんですが。
後半もちゃんと見て見たら、夏季オリンピック名場面MAD、みたいな映像をバックに、ワーグナーの「タンホイザー序曲」が演奏されていて、これは良かった。

ワーグナーを毛嫌いする人、私の周りにはけっこういる。
特に芸術家肌?の人ほどワーグナーを嫌うのは仕様だわね。(笑)
たしかに、あの「圧」には少々辟易するときがあるし、私も一番好きな作曲家とは言わんし、以前はよくわからないまま、雰囲気だけで敬遠してたけど、今は聴くたびに、とにかく凄いし偉大だと思う。

チャイコフスキーの音楽が美しく、良くも悪くも劇場っぽいのは、内心、それが真実でないということを知ってるから、なんだと思う。
わかってるけど、一期の夢として、真実らしく見せたい、見たいという願望を劇場で叶えようとしている。
だからどこまでも緻密で美しくて楽しくて、綻びというものを感じない。
そして過去を振り返って書き起こしたような、時を止めて束の間の幸せに浸るような、切なさがある。

一方ワーグナーは、美しいかどうかじゃなく、全てがあるというか、未来があるというか。
彼は単なるジェスチャーじゃなくて、必ずその夢が真実になると、心の底から信じていたんだろうな、と感じるのは、ほころびのない完成形じゃなくて、どこか未完成のような、余白を感じるからかもしれない。
劇場などというものは通過点でしかないということを、ワーグナーはわかってたんじゃないかな。

彼の音楽は、この音にはこの場面、というイメージがしっかりあるのに、それが舞台の「板」や、地球の重力にすら縛られていないし、キャラクターも限定されてない。
自在に宙を舞ったり、瞬時に時空を超えたり、聴く人の想像力を無限にげる。
彼の音楽があるから、人は人間が宇宙に行けると信じ込んだんじゃないか?
彼の音楽があるから、人は映画を発明しようと思ったんじゃないか?
とすら思う。(もちろん違うだろうけど)
そういうエネルギーと、オリンピックの超人的な映像とが、ピタリとはまっているのだと思う。
使い方によってはえらく下品になるワーグナーだけど、このMADは、映像の編集も含めてとてもカッコよかった。

そして「オリンピック賛歌」が「タンホイザー行進曲」と「富士山」を混ぜたようで盛大に笑ってしまい、映像はもはや覚えてない・・


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